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"La Japana Budhano" n-ro 375-376 (2015)

インド・ナグプールへ旅して

山口 眞一

17年前に読んだ一冊の本、山際素男『不可触民の道』(三一書房、現在は光文社新書から再版)に、私はいい知れぬ衝撃を受けた。それまでカースト制度については、せいぜい学校で習った程度の知識しかなかった。学生時代には部落問題研究会に属し、平等とか人権という問題を勉強していたくせに、インドのカースト差別にほとんど関心を寄せていなかったことを恥ずかしく思うとともに、アンベードカル博士や佐々井秀嶺師の奮闘ぶりに興奮をおぼえた。「そうか、インドでは仏教は滅びたも同然と思っていたが、仏教の平等の精神が不可触民の人々を励ましているのか!」と、嬉しくもあった。

その後、アンベードカル『ブッダとそのダンマ』、ダナンジャイ・キール『アンベードカルの生涯』、山崎元一『インド社会と新仏教』、山際素男『破天:インド仏教徒の頂点に立つ日本人』、佐々井秀嶺『必生:闘う仏教』、小林三旅『男一代菩薩道』などを読むにつけ、いよいよインドにおける仏教復興運動に関心は深まっていった。そうして、およそ1年前、「ナグプールで集団改宗式を見たい!」と思いたった。1956年に、アンベードカルおよび50万人の被差別民とともに、ヒンズー教を捨てて仏教に転ずるための「集団改宗式」がナグプールで挙行された。以来、この集団改宗式は毎年10月に佐々井師がリーダーとなってナグプールで執行されているという。

インドには以前に一度、仏跡参拝に行ったことがある。バックパックを背負って歩き、下痢もせずにすんだ。だからインドを一人で旅することに不安はなかったが、ガイドブックはナグプールについて何も情報を載せていない。人口250万人の都市ではあるものの、観光名所がないからだろう。ムンバイからは飛行機で1時間少々だから交通の便は悪くない。

実際に旅程を決める際に迷ったのは、「集団改宗式は何日に開催されるのだろうか」の情報が見当たらないこと。ある方から「今年の改宗記念日は10月3日とのことです」と教えていただき、これによって旅程を組んだものの、これとは違う情報(10月の満月の日、あるいは10月13日)もあり、本当に3日で正しいかどうかの確信はなかった。おまけにインターネットの情報によると、佐々井師は大病を患ってムンバイの病院に入院、危篤が伝えられたという。回復されたとはいうものの、集団改宗式を仕切ることができるのか心配でもあった。

Indora Buddha Vihar
Indora Buddha Vihar
本堂
実際にナグプール入りしたのは10月2日朝。まずは佐々井師のお寺へ。あらかじめ佐々井師のお寺の名前が"Indora Buddha Vihar"であると教えてもらっていた。リクシャーの運転手は場所をよく知らない様子だったがあちこち尋ね回りようやく到着。リクシャーを降りたとたん、一人の男性から「ジャイ・ビーム」の挨拶が。インド仏教徒の間での挨拶は「ナマステ」ではなく、アンベードカルの名前に由来する「ジャイ・ビーム」だとは、本で読んでいた。私も合掌して「ジャイ・ビーム」と返して、少し嬉しくなった。

本堂に一歩足を踏み入れびっくりしたこと。それは老若男女、出家在家問わず本堂を埋め尽くし談笑したり敷物をしいて寝転がったりしていたこと。日本のお寺では(どの国のお寺でも)ちょっと見られない光景だ。集団改宗式に参加する人たちが宿泊所として利用しているのだろうか。実は私が心配していたのは、数十万人が参加するという集団改宗式とあってみれば、ナグプールのホテルは予約で一杯になってしまっているのではないか、ということだった。実際にはそのようなことはなく、私が利用したホテル(エコノミーなビジネスホテル)も、ガラガラだった。ほとんどの参加者はお寺に泊まるか野宿なのだろう。

改宗広場
改宗広場。左手に
アンベードカル銅像
このお寺で、集団改宗式のスケジュールがどうなっているか、また佐々井師が今どちらにおられるのか、聞いてみようと思っても、英語が通じる人がほとんどいない(私の英語も怪しいものだが)。インドでは英語は準公用語ではあるものの、実際に使えるのは上位カーストに属し十分な教育を受けた人に限られる。英語でのコミュニケーションはあきらめざるを得なかったが、一眼レフカメラを構えた外国人とみて、若い子たちが「写真を撮ってくれ」としきりによってくる。仲間が仲間をよび、次々にくるので何十枚もシャッターを切り、モニターを見せてあげるだけで喜んでもらった。ただ困ったのは、そうして撮った写真をどこへ送ればよいか、"address"という英単語も通じない。おそらくは、自分の写真を送って欲しいというよりも、外国人といっしょに写真を撮るということ自体が楽しいのだと解釈することにする。

そこから一旦ホテルにもどり、夕方、改宗広場(デークシャ・ブーミ)に出かけてみた。ものすごい人の波だ。道路両側には出店がたちならび、まさにお祭り騒ぎである。いや、お祭りそのものといってよい。広場や道路のあちこちで、集会やらパレードやら演説やらお説教やらが行われている様子だが、残念ながら言葉が分からない。ライトアップされた仏塔のフォルムが美しい。

改宗広場
改宗広場の仏塔
ここで出店していた人から英語で話しかけられたのを幸いに、「改宗式はいつあるのか」と尋ねると、「明日10時から」という。そうか、今日は前夜祭なんだ、と納得し、やはり3日で間違いなかったと安心した。この方(Supadmaさん)としばし話し、この地の仏教について教えてもらう。デークシャ・ブーミはナグプールだけでなく、自分の町にも小規模なのがあり、そこにも仏塔が建っているそうだ。「明日はもっと大勢くるはずだよ」。明日の再会を約して別れた。

改宗広場
改宗広場に集う人々
こうして翌日朝ホテルを出て改宗広場に向うと、やはり昨日以上の人の波で前に進むことも困難、入り口から中央ステージにたどり着くとすでに10時を過ぎているが、ステージ周りもステージ場も閑散としている。終わってしまった?その辺りのスタッフらしき人に聞くと「夕方4時からだ」。10月とはいえ、気温は35度を超えている。この暑さでここにとどまる気力がないので、とりあえずホテルへ戻り、再度出直す。今度はかなりの人数がステージ周りに集まっているが、実際に始まったのは6時からだった。中央ステージ前には来賓席か招待席とおぼしきスペースがあり、その後方に柵があって、私は柵の真後ろに立ってカメラを構えていると、警備の人が柵の内側に入るように合図してくれた(カメラマンと勘違いしたのか?)。

改宗記念大会
改宗記念大会
正面佐々井師
右はタイ政府要人
私はじつは大きな勘違いをしていた。それは翌日に気付いたことだが、このステージで行われているのは、集団改宗式ではなかった。改宗記念大会というか式典ともいうべきものだったのだ。ここでの内容は、歌とか演説、シュプレヒコール、要人のあいさつなどで、何をいっているかはさっぱり分からず、英語通訳もあまりよく聞き取れない。パーリ語での三帰五戒くらいはかろうじて分かった。実は集団改宗式というのは、いくつかのもっと小さなグループ毎に数日間かけて五月雨式に執り行われるのだという。だから、「明日10時から」というのも間違いではなかったのだし、お寺で「何日の何時からか」と質問して、困った顔をされたのも当然と言えば当然なのだ。もっと正確に情報収集しておけばよかったが、ともかくも改宗記念日のメインイベントに立ち会えたことはよかった。インド旅行の最大の目的は達成できた。


Indora Buddha Vihar
Indora Buddha Vihar
で佐々井師に会う
ただ、ここまでで佐々井師にじかにお目にかかることはまだできていない。翌4日、とりあえず前述の Indora Buddha Vihar へ。ここで運良く佐々井師にお目にかかることができた。具合についてお尋ねすると「州政府がムンバイの一番いい病院に連れてったんだ。死にかけたよ」と。話の力は、とても危篤だったとは思えないお元気さではあったが、昨日の式典での様子からすると、やはり体の衰えはいかんともしがたいように思われた。私が浄土真宗の僧侶であることを申し上げると、無量寿経の四十八願のことにふれて「やっぱりこれも差別があってはいかんという教えだね」と言われる。この視点は私の恩師からも常々教えられていたところだが、浄土真宗外の方から指摘されたのは初めてのことで、実践もさることながら教学においても深い眼差しをもって経典を読み解いておられることに、あらためて驚かされる。次に予定が入っているとのことで、ほんの15分ばかりお話しできただけだが、こうしている間にもスタッフが入れ替わり立ち替わりやって来て報告をあげ、それになにがしかの指示を与えている様子。

マンセル遺跡
マンセル遺跡
午後、マンセルの仏教遺跡にいらっしゃるとのことで「よかったら一緒に行きませんか?」と誘っていただいたが、実は私のほうでも既に行く予定で、ホテルを通じて車をチャーターしてしまっていたので、ここでとりあえず辞した。さて、いざマンセル遺跡へ。ただ運転手がマンセルは知っていても「遺跡」が分からない。なんだか別のヒンズー寺院へ連れて行かれてしまった。「ここじゃなくて仏教の施設」と注意しても、もともと遺跡があることを知らないようで、道行く人に教えてもらってたどり着くことができた。私も正確な場所を把握しておくべきだった。思ったよりはこじんまりとした感じだったが、小高い丘を昇り、風に吹かれながら下を見下ろすとすばらしい景観だ。これでナグプールに来た目的はぜんぶ果すことができたので、その日の夜行列車で町をあとにした。

仏旗
街に翻る仏旗
ナグプールでいちばん印象的だったのは仏旗である。改宗記念日だから特別だったのかもしれないが、街のいたるところに掲揚され、お店やリクシャーにも小さな旗を掲げているものがある。六色仏旗の鮮やかさは遠目にもよく分かるし、仏教徒としての連帯感を醸し出すものだ。私が住職をつとめるお寺でも行事や法要の際には必ず掲揚しているが、「あれは何ですか?」とよく聞かれる。日本でも全日本仏教会などが販売しているものの、あまり馴染みがない。日本のお寺では掲揚されていたとしても、多くは国際仏旗ではなく、いわゆる「旧仏旗」を使っている(デザインは同じだが色が違う)。以前ネパールに行った時にも、仏教徒の家には仏旗が飾られていた。日本でももっと普及して欲しいものだ。 実はインドに出立する直前に、全日本仏教会が販売しているプラスチック製の仏旗バッヂを10個くらい仕入れ、一つは自分のカメラのストラップに取り付け、他は知り合った人へのお土産にした。こうして自分が仏教徒であることをアピールできたのはよかった。たとえば私が泊まったホテルのスタッフも私に「仏教徒なんですか?ジャイ・ビーム!」と嬉しそうな顔をした。ささやかな交流も大切なことと思う。

【旅程メモ】

9月30日 中部空港から香港経由ムンバイへ (ムンバイ市内見学)
10月2日 ムンバイから空路ナグプールへ
10月5日 ナグプールから夜行列車でジャルガオンへ (アジャンタ・エローラ見学)
10月7日 オーランガバードから空路ムンバイへ (エレファンタ島見学)
同日 ムンバイから香港経由中部空港へ

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