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『般若心経を読む』

西 泰宏

般若心経については無数の紹介、解説書があり私も何度もこの機関誌で紹介してきました。たしか「今回でやめたい」みたいなことも書いたかもしれません。それにもかかわらず再度の書評を投稿しましたのは、この本が講演録であり、その講演も仏教を解説するとか心経の意味内容を教えてやるという態度ではなく講師たちの自分の生きてきた道、生の人生にどう心経がかかわったかという方面から書かれているので、むしろ小説を読むように読めるからです。

著者・編者の名前を頭書に書かなかったのは、以下に紹介したかったからでその序に『本書は平成七年十月中旬に、わたしの寺(金沢市、雲龍寺、荒崎良徳住職)で開催した「般若の集い」という仏教講座で---』とあり、演題は目次にあるように、五蘊皆空-紀野一義、度一切苦厄-荒崎良徳、色即是空-青山俊菫、など心経の語句の一部をおそらく指定され、その語句をテーマに話を進めたようです。他には松原哲明、酒井大岳、林屋友次郎(心経の逐句的解釈)など第一線の布教者の共著の形になっています。

さて、どんな内容かは私では十分にその魅力を伝えられるとは思われません。ただ、あの紀野さんも荒崎住職もけっして最初から今のように立派であったのでもなく、今もまた悩み多い人生を歩いていることを知り、奇妙な安心感と彼我のあゆみの違いに情けない思いを味わっていることを記しておきます。そして次に講演に引用された三好達治の詩とその英訳を挙げて、内容の紹介にかえたいと思います。

「わが名をよびて」

わが名をよびてたまはれ
いとけなき日のよび名もてわが名をよびてたまはれ
あはれいまひとたびわがいとけなき日の名をよびてたまはれ
風のふく日のとほくよりわが名をよびてたまはれ
庭のかたへに茶の花のさきのこる日の
ちらちらと雪のふる日のとほくよりわが名をよびてたまはれ
よびてたまはれ
わが名をよびてたまはれ

Please Call My Name

May I ask you to call my name
My name as a child
May I ask you once again
Please, call my name
All of you, my ancestors ancestors=prapatroj
Beginningless as today's wind
Please, call my name
I alone am left
Like a tea flower blossom
In the corner of the garden
Crying and asking
Please,call my name
I cry to you all
Beginningless as the snowflakes coming down snowflakes
Call my name!
May I ask you to call my name
May I ask you to call my name

Sed se mi ne tradukus, mi ne estus esperantisto. Ne al poemo,sed al prozo, ĉar bedaŭrinde mi ne estas poeto.

Voku Mian Nomon

Bonvolu voki mian nomon.
Bonvolu voki min per la nomo de miaj infanaj tagoj.
Ho, ankoraŭ unu fojon bonvolu voki min per la nomo de miaj infanaj tagoj.
Bonvolu voki min de lontane en la tago vento-blovanta
En la tago kun restanta te-floraĵo ĉe la korto-rando
En la tago kun falantaj neĝflokoj, de lontane bonvolu voki la nomon.
Bonvolu voki.
Bonvolu voki la nomon.

この本は施本にするつもりです。手元においてもう一度読んでみたい本でもあります。だからこそ、他人にも読んでもらいたいのです。この本の送り先は奈知子先生です。私が小学校2年の時の担任、今から思えば11歳違い、わずか19歳の代用教員でした。教材より教則本がなくて苦労したそうです。それでもどの先生方も堂々としていて自然に尊敬される方々でした。いま思えば、それは教育に対する情熱と真剣さがもたらしたものだとわかります。40年も経てようやく消息を知り時々電話で話すくらいですが、街の方から赴任してきた人で「実の妹たちより可愛い山の子供たち」だったとおっしゃいます。丸坊主で鼻を垂らし、満足な服装は一人か二人、草履があたり前のはきもの,今では見向きもされないような食事、そんなガキどもをです。自分の著作ではないのが残念ですが、この本は最適のものだと思っています。

(1996-09記述)

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