この本は入門書には違いないのですが、信仰のためよりむしろ歴史書です。信仰のためにはかえって読まない方がいいかも知れません。それというのも、仏教の成り立ちを著者の豊富な知識や引用によって分析というより解剖することで「考えを変えた方がいいかな」と思わせるほど辛口の文書になっています。
まず「はじめに」の中で「著者はこのような論文(?)を読むたびに、『説教する男は一般に偽善者だし、説教する女は必ず無器量だ』というイギリスの作家オスカァ-ワイルドの言葉を思い出さずにはいられない。」と刺激します。それでいて、「仏教者の批判を書くつもりはない」とし「仏教は宗教であって学問ではない」「学問的にどれほど立派なものであっても、宗教的な価値とはまったく別物である」と記述の立場をあきらかにしています。
それでも、本文の「(法華経は)あたかも小児が竹棒を持って強がりを言うのに類すると言っても言い過ぎではない。」(p167)を見ると、この人の創価大学客員教授という身分を心配しなくてよいかと思ってしまうのです。
さて、本文は釈尊の人種、家系を残された資料を駆使して考証しています。それによると釈迦族はモンゴリアンの中のチベット=ビルマ人でありインド=アリヤン人ではないと推定します。水田耕作をしていたことにも傍証があります。釈尊自身については、弟子に語ったという「私は身体が優形で、非常に華奢で、きわめて慎重に育てられた。」というくらいで、出家まえの生活を述べたものはないとのことです。その生存期間80年は動かないとして「ブッダは西紀前6世紀の前半の末ごろに生まれ、同5世紀の前半のなかばまでに入滅したと考えるのが穏当と思われる。」(p.38)
これ以上詳しくは無意味としています。筆者(西)は前に中村説が一番新しいからと『対訳』などに表記してきましたが、これは撤回しなければなりません。なお、会誌 La Japana Budhanoの表紙に「佛暦 2543 」としているのは信仰上の年期であって変更する必要はありません。西暦の2000も実際は4年から10数年ずれているという説がいくつかあるのです。驚いたことには、釈尊の本名が定かではないこと。初期の仏典には個人名が書かれていません。シッダールタは「目的を成就した」の意味で「後代の人が崇めて、このように呼んだとも…」(p.22)
ついでに姓のガウタマの方は「勝れた牛」「最良の牛」の意味ですが、これは釈尊以後のことではなく、牛を崇めるのはもともとインドの習俗でした。
次には仏教の母体というか先行宗教のバラモン教から記述します。それがどんな宗教で実態はどうだったか、詳しく書けば本文と同じになるので省略しますが、カーストと呼ばれる四姓の根拠のいいかげんさや、武士階級であり、釈尊の知人の王族が逆にバラモンに教えるなど痛快な読み物でもあります。なお、業と輪廻はバラモン教の術語であり、法という観念は現在ほど重要ではなかったといいます。
仏教の根本観念の四諦、八正道、十二縁起などの解説も型どおりでなく、その関連性から説明しています。筆者(西)の不満としては、なぜ五蘊なのか、がわかりません。これ以外に分け方はないのか、これは直線的作用線なのか、そうだとすれば第四の「行」はどんな意味か、むしろ第五「識」と入れ替えてはどうかということ。専門家には笑われそうですが、納得できないのだから仕方がありません。
戒律の多さは、それだけ違反者がいたから多くなっていったのだろう、などとこの著者はウラから読みます。それはこの本全体を覆う思考法です。また釈尊は教団内では女性差別者で外部ではフェミニストだったと。仏弟子の五割以上はバラモン階級で、賤民は一人もいないといいます。それが正しければ「釈尊はサンスクリットで説教する事を拒否した」というのは単なる伝説に過ぎなかったことになります。それ以上に驚いたことに(驚いてばかりですが)、以前から疑問だった反逆者デーヴァダッタが何をしたかについて、ほとんどが伝説で、正統派あるいは勝者の史書にすぎない、すなわち大本営発表のごときもの。「明瞭にわかっていることは、」(p.143)5項目の要求を突きつけたことです。
これではまるで、釈尊の原点に帰ることではないか。まったく逆のことを想像していたので、これには唖然としました。当時の釈尊の教団は祇園精舎や竹林精舎を持っていたのだから、暖衣飽食とはいわないまでも、かなり楽な生活をしていたのではないかといいます。7世紀に玄奘がインドに遊学した時、この異端(?)教団はまだ生きていたと報告しています。
釈尊の伝説化にともなってさまざまな物事が付加されるのですが、32相については「考えてみただけでもぞっとするような姿である。」すなわち「一種の畸形の人間」(p.156)であり「まさに狂気の沙汰であるが、彼らはまじめなのである。」と結びます。
この後、大乗仏教の記述に移りますが、長くなるのでこれで終わりにします。
少しだけ追加すれば、釈尊の仏教は部派仏教時代にかなりゆがめられていますが、大乗になってからのナーガールジュナやアサンガの思想も釈尊のものとはズレがあるということです。
最後に。この仏教エス連には古くから、また最近になって僧侶の方々が増えております。この専門家の方々と我々一般の間では、知識の落差が大きいのでどちら向けにも満足できる記事を送ることは不可能なことです。したがって、このような基礎的な文献の紹介も掲載しますが、お許し下さると同時に、あまりに的はずれな記事にはご忠告を賜りますようお願いしておきます。
【編集部より】本書は現在品切れ中につき入手できません.ただし,同趣旨をより詳しく論述した書として,『岩本裕著作集第1巻:仏教の虚像と実像』(同朋舎出版,1988,364頁,9000円,ISBN 4-8104-0680-6)があります.