ティク・ナット・ハン師の名は,アジアのみならず欧米ではよく知られ,何冊もの著作が英文で刊行されているが,日本で一般に知られるようになったのは,彼が来日した1995年以後のことであろう.
本のカバーに刷られた著者紹介から一部を和訳する.
「臨済禅の師家で平和活動家のティク・ナット・ハンは,1967年にマルティン・ルーサー・キング牧師の推薦でノーベル平和賞候補に挙げられた."Living Buddha" "Living Chirist" "Peace Is Every Step" など多くの著作がある.フランスのプラムビレッジに修道院を建設し,"mindful living"の方法を指導している.」
ティク・ナット・ハン師の雲水としての修行はベトナムの古都フエ郊外の山寺であった.(ベトナムは中国の影響が強いので,仏教といえば大乗仏教,特に臨済禅が盛んである) しかし当時はベトナム戦争のまっただ中,多くの民衆が傷つき倒れていく現実があった.その中で彼は考えた.「自分はこのまま僧侶として僧院に留まって修行を続けるべきだろうか,それとも僧院を出て戦火で逃げまどう人々の手助けをすべきなのか.」この一見すれば二律背反する方向の中で揺れ惑い,最終的に下した結論は,両方を同時にやってしまう,というものであった.その結論には,おそらく兄弟子であったティク・クワン・ドク師の北爆に抗議しての焼身自殺(しかし自殺と呼ばれるのは師の本意ではなかろう.焼身供養というべきか.)が影響を与えたに違いない.余談かもしれないが,日本のエスペランチスト由比忠之進がこれに影響されて焼身自殺した(当時の私自身は子どもだったので直接には知らないが)ことを思うと,ティク・ナット・ハン師と由比忠之進との目に見えぬ繋がりを感じさせられる.
ティク・ナット・ハン師の,民衆と関わっていく仏教と坐禅をして瞑想する仏教との結合は<行動する仏教>(engaged buddhism)と呼ばれる.私たちは通常,坐禅とか瞑想といえば,ひたすら自己の心を研ぎすましていく,内観的なものをイメージする.しかし,彼にとって瞑想(meditation)とは,自己の内への関わりと外への関わりが同時であって別々ではない,あるいは,真実の自己とは社会との関わりにおいてのみありうる,そういう自分を見い出していくこと,といえよう.一般に,宗教とは「こころの問題」だと言われる.しかし自分の内面を見つめるといっても,自分の存在は世界全体との関わりにおいてしかありえないのであって,自分の内面をのぞきこんでああでもない,こうでもないと詮索することが自己の発見なのではない.あくまでも人と人,人と自然,人と世界の関係性においてしか自己は成り立たない.それが仏教の<諸法無我>の原理であろう.ティク・ナット・ハン師はこれを"inter being"と表現しているが,まことにピッタリだと思う.
したがって,宗教とは,仏教とは,単に「こころの問題」,自分の安心立命が得られればそれでよし,というようなものでは決してない.例えば,僧侶が社会運動・市民運動に関わったり発言したりすると,「そんなことやるのは坊主の本分にはずれている」と見られがちである.しかし現実の問題をぬきにして得られる安心立命など,自己満足にすぎないのだ.いみじくも宮沢賢治は言う.「世界全体が幸福でないうちは私の幸福はない」(『農民芸術概論綱要』)これこそが仏教の真骨頂であろう.
ティク・ナット・ハン師は言う.
「瞑想は,社会から離れ,社会から逃げ出すことではなく,社会への復帰の準備をすることです.これを私たちは<行動する仏教>と呼んでいます.瞑想センターへ入る時,つまり寺に入る時,家族や社会,そしてそれにまつわるすべての煩わしさを離れ,個人としてやってきて瞑想を実践し,平和を求めるのだという印象を受けるかも知れません.これがすでに錯覚です.なぜかというと,仏教においては個人としてあるということはないからです.」(本書p.61)
本書は英文であるが,たいへん読み易く,おそらく高校1年生くらいの読解力があれば読めるだろう.難しい用語もほとんど使われていない.「智慧」「慈悲」といった仏教用語は,本書ではきわめて単純に"understand" "love"と表現されている.仏教の専門家にとってはこのような語彙は受け入れがたいものかもしれない.しかし,あまりに煩雑な議論はかえって仏教の本質を見失う恐れもあろう.私じしん,『仏教入門』をエスペラントで執筆していて,もっと大胆に簡素化した表現を用いたいと思っているのだが,なかなかうまくいかない.易しい言葉で物事の本質を表現するには,その本質をどれだけ深く理解しているかに依るからであろう.ともあれ,英文の仏教書を日本の仏教徒が読むことは多くないであろうが,漢語表現に慣れ切ってその本質的な意味に迫ることを怠らないためには,むしろ英文など非漢字圏の言語で書かれた仏教書を読むことも大切かと思う.そしてエスペラントの仏教書を1冊でも多く生み出すため,私も微力を注ぎたい.
本書データ :Thich Nhat Hanh "Being Peace", edited by Arnold Kolter, Parallax Press, Berkeley,1987, USD16.00.日本語訳として,壮神社より『ビーイング・ピース』(棚橋一晃訳)が刊行されている.