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金松賢諒著『NATURALNESS(自然)』を読む

玉越 邦彦

確か10年前、東京の八重洲ブックセンターで偶然本書を見付けて購入したと記憶している。英文であったが100ページの小冊子であること、立ち読みしたところ平易な英文で私でも読めるなと思ったこと、そして何より題名(自然)に引かれてその場で買ってしまった。先般、編集部からのお勧めもあり、改めて本書を読み直してみた。

本書は、前書と次の5章からなっている。

  1. Pure Feeling
  2. Dharma
  3. Revealer and The Saviour
  4. The Original Vow of The Saviour
  5. Naturalness in everyday work

章名を見ただけで、浄土教の理論的な内容を説明していることが判る。

広く知られているように、明治時代後半から鈴木大拙氏が流暢な英語で禅仏教の書物を精力的に著し、今日でも欧米では仏教と言えば「禅仏教」と思われるようになっていると言われている。

一方、浄土教の教えや親鸞聖人の名前については、スイスの神学者カール・バルト博士等少数の例外を除いて海外では殆ど知られることは無かった。本書が書かれた理由は私に判るはずもないが、奥付に1949年初版発行と書いてある所から推測して、大谷大学に長年奉職し自ずと浄土教思想を深く理解するようになった著者が、普く欧米の人々に理解してもらうために敢えて英文で著したと推測される。

本書の主張は、章名から推測できるように、仏教を心の中心に置く者の日常生活の生き方の心構えを説いている最終章(Naturalness in everyday work)にあるのであろう。しかし私には浄土教の考え方を各章にわたり述べられ、一瞬ハッとして己を省みる所が各章にちりばめられており、読んでいて心が洗われるような幾つかの文章に出会えることに、本書の眼目があるのではないだろうか。

最後に私が最も感銘を受けた文章を紹介して、拙い書評を終りとしたい。

「釈迦牟尼が述べたことは、単に自己犠牲の実践だけではなく、慈悲の心を押し広めるという点である。ここに仏教の真髄がある。親鸞聖人が説いた自然(じねん)も自我の解放に他ならない。自力の心を翻して他力の心に溶け入ることが、聖なる自由(自我の解放)であり、これは即ち、自己の計らいを捨て永遠の意思--永遠の光である阿弥陀仏に帰依することに他ならないのである。」(拙訳:原文は初版本の34頁)

本書データ: Naturalness: A Classic of Shin Buddhism, by Kenryo Kanamatsu, World Wisdom, 2002,ISBN 0-941532-29-1,$12,95


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