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佐々木閑『出家的人生のすすめ』

牧野 哲

著者は「出家的人生」を「社会通念が押しつけてくる世俗の損得勘定を離れて、『私自身が求める生きがいはこれだ』と自分で決めて、その道に身を投じる」ことと定義する。だから、「出家」は仏教僧侶だけがするものではなく、現代の一般社会に生きる様々な人々ができるものである。つまり、釈尊の教えに基づけば、「出家」とは世を捨てることではなく、社会からの支援を前提に同志たちと集まって、やりたいことを一生かけて追求することを意味する。「布施」というのはこの社会からの支援であり、同志たちとの集まりが「サンガ」である。

評者は数学者の端くれとして、この3月に定年退職するまで大学に勤めて数学の教育・研究を仕事にして給料をもらい、定年後は年金で生活費を賄いながら、数学研究に専念している。してみると、評者も出家しているのであろう。在職中も、世間の人たちが汗水流して苦労して働いて安月給でやっと生活しているに比べて、自分が好きなことをして税金や学費に由来する比較的高い給料をもらっていることに後ろめたさを感じないではなかったが、あれは社会からいただいた「お布施」だったわけだ。今は老齢・退職年金がそれに当たる。

世俗の暮らしでは入手できないものを求めて、世俗とは別の価値観で生きる世界へとジャンプするには、そのための修行生活を送る共同体が必要であり、それを支援してくれる社会との良好な関係を維持するには「律」を守らねばならない。著者は、釈尊の定めた「律」から出家生活のノウハウを取り出して、現代社会に通用する形に翻訳して紹介し、真の生きがいを求めて新たな人生に踏み出すという「出家」が、決して見果てぬ夢ではなく、決断ひとつで実現可能な道だということを示そうとしている。

3・11フクシマ、STAP細胞騒動以後、大きな社会問題となっている科学者・技術者の倫理というテーマを論じる際にも、著者の視点は大いに生かされるべきである。カネが万事の世俗の価値観を拒絶して、真理に忠実な清貧の研究生活を選択した科学者が、初心を忘れて良心を権力や独占資本に売り渡したり、名声や地位欲しさに研究成果の発表を見切り発車したら、社会は支援を打ち切るであろう。

著者によると、仏教では「悟っていないのに悟ったと嘘をつく」のは、告白して反省すれば許されるただの嘘とははっきり区別され、サンガから永久追放される重大な罪とされる。勘違いによる誤りならしかたがないが、業績欲しさから故意犯的に、証明できていない定理を証明できると論文で発表した数学者は、学界から永久追放すべきだろう。

もう一点、学問をはじめ、どのような世界にせよ、ただ単に「そこに入りたい」と思うだけで、すぐにその世界の正式メンバーとして認定されるようなところは、ただの趣味の世界であって、出家の世界ではない、という著者の注意も傾聴に値する。最近、数学の基礎的な訓練をすっとばして、自分でもよく理解していないキーワードをつまみ食いして振り回すスキルのみに頼って「数学者」を名乗る輩が出てきているように思うからである。


本書データ/2015年;集英社新書


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