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小林信源著『「こだわり」を捨てる ― 仏教が教えるウツ脱却の秘法』

誰しも自分が一番いとおしい。それが高じると、自分へのこだわりになる。しかし、自分へのこだわりが、現代人をむしばむウツ病や神経症の根なのである。自分が自分の心にこだわりすぎると、不安な心を不安に思う心、不安な心を不安に思う心を不安に思う心・・・と無限の自己言及の連鎖が始まり、自分というシステムの制御が効かなくなって、にっちもさっちもいかなくなる。著者は、この状態がいわゆる「魔事境」に他ならず、そこからの効果的な脱出法こそ天台止観の「十乗観法」というマニュアルであるという。本書は実例を交えながらこの十乗観法を具体的に紹介するものである。

この修行法は、中国(隋)の学僧、天台大師智顗(538-597)の著した『摩訶止観』に基づき、以下の9ステップで自己言及のループから脱出する:(1)「起慈悲心」(自分以外のことに関心を向ける)、(2)「巧安止観」(不安と闘わない)、(3)「破法遍」(世間の常識にこだわらない)、(4)「識通塞」(生きるまねをしてみる)、(5)「道品調達」(生きるリズムをつくる)、(6)「対治助開」(身近なことから生きているという実感をとりもどす)、(7)「知次位」(治ったと思ってもまだ治ってないと気付く)、(8)「能安忍」(ときには逃げ、ときには耐え忍ぶ)、(9)「無法愛」(こだわりを捨てることも捨てる)。

尤も、仏教学ではこれらは順を追うステップではないという理論的見解もあるようだが、本書はステップを踏んで治癒していった例を具体的に紹介したきわめて実践的なものであり、個人の性格がどうとか、不安の原因は何か、とかの詮索をせず、自己言及の連鎖を断ち切る具体的、実践的な方策に徹するというのが特徴である。ちょっと見たところはチープな粗製乱造の読み捨て文庫本に見えるが、外見に反して実態は理論的にも臨床実践的にもたいへん充実した著作であることを強調しておきたい。

なお、著者が12歳で出家したのも、本書刊行当時に住職をしていたのも、福岡の光薫寺であり、本門佛立宗に属する。この宗派は「南無妙法蓮華経」の題目を唱える修行(口唱行)を根本とするはずだが、本書はこの題目を唱える行のことには言及しない。

2019年10月4日 牧野 哲

本書データ/2002年;光文社

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